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ともに 心うごかされる ご縁を
感隨寺
青森県黒石市京町字寺町15
当寺院は1647年(正保四年)に初代住職、釋休古によって開かれました。現在の本堂は1992年(平成四年)9月23日に落慶法要、梵鐘・鐘楼堂は2005年(平成十七年)8月27日に落慶法要が行われました。
この度はご覧いただきありがとうございます。
感隨寺(かんずいじ)は真宗大谷派、京都の東本願寺(真宗本廟)を本山とする寺院です。
お寺の名前にあるように「咸(みな)」の「心(こころ)」の「隨(あとに続く)」。
つまり、「みなさんの心とかけ離れない」ことを大切にしております。
これまで先達がそうしてきたように、お念佛「南無阿彌陀佛」の教えを未来へと繋ぐために歩んでまいります。
ごあいさつ
合掌

感隨寺について
齢松山感隨寺故事来歴


感隨寺は石川県能登国鳳至郡穴水村(現在の穴水町)の弘誓寺二男釋休古が黒石に移住分家、現在地を霊地として開山した寺。休古が郷里をいつ出発、黒石にいつごろ着いたのか―などは不明だが、黒石では信徒は次第に増えて一大教団となり、正保四年(一六四七)には正式に本山東本願寺から阿彌陀如来の木仏本尊と宗祖親鸞聖人の御影などを与えられ山号寺号の公称を許された。
休古の先祖は村上源氏の末孫。清和源氏が武士として発展したのに対し、村上源氏は公家として長らくその貴族的地位を保っていた。
感隨寺には花山院藤原忠長卿が大信和尚へあてた書状および花山院が黒石在住当時使用したと伝えられるお膳と茶わんがある。感隨寺の住職の先祖は公家出身なので同じ公家の花山院とは交際が深かったものとみられ、書は花山院が津軽から引き揚げるときの寛永年間のものと思われ、「急に江戸から迎えにきたため、会って話する暇がなくて残念だ」という意味のもの。
お膳には七葉牡丹の紋が散らされており、これは弘前藩から花山院へ贈ったものであろう。茶わんは菊唐草文様付きの白瀬戸物である。
感隨寺は明治から昭和にかけて二回にわたって火災に遭っているが、黒石地方きっての大地主たちが檀家であったため幕末から明治にかけては津軽地方では指折りの大きなお寺であったのだろう。というのは明治元年(一八六八)の箱館戦争のとき、清水谷箱館府知事が本営としてこの寺を使用している。
明治元年十月、清水谷公光箱館府知事は蝦夷地に上陸した榎本武揚らの軍に圧迫されて箱館を捨てて青森に避難、青森から浪岡を経て十一月に感隨寺を本営として謹慎していた。十二月に清水谷府知事は青森口総督を命ぜられて黒石から青森に転陣、陣容を整えて翌二年四月に箱館攻略のため青森を発進している。清水谷府知事が滞在中に残した短冊もあったが、昭和二十三年の火災で焼失してしまった。
その後、黒石にはじめて警察署が設けられた明治八年四月にも、この寺が第二大区警察出張所として借り上げられている。出張所は明治十年十月に内町の弘前相互銀行黒石支店のところに新築され移転するまでこの寺に置かれていた。
第十六世住職 穴水顯一

感隨寺へのお問い合わせ
0172-52-2610
アクセス
感隨寺
住所:〒036-0362 青森県黒石市京町字寺町15/電番:0172-52-2610/FAX:0172-88-5616
【アクセス】
<電車> 黒石駅(弘南鉄道・弘南線)から徒歩13分
<お車> 東北自動車道・黒石ICから8分(境内駐車場14台分あり)